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定義

定義って何でしょう?必要ですか?
まぁ必要かも。それがなければ話していることが伝わらない。物事に定義があってそれを基本に話すからこそ話も進むというものだ。

でも、である。
今日、『開発とは何ですか?』『教育とは何ですか?』という話になった。まぁよくあると言えばある。でも答えは出たことがない。いや、出なくて良い。こういうことを授業中に聞かれるのは少しナンセンスかな?とも感じます。
いや、みんなでそれぞれの意見をシェアするのはいいと思うのだけれども、自分のイメージする場所とか経験によりその定義は様々に変わると思われるので『何であるか?』と聞かれれば『各々のコンテクストにより導かれるコンセプト』なだけかな?とも。まるで答えがあるかのような問いかけにとまどった。うん、聞くのは良い。でも『議論』する内容なのだろうか?皆が言うことすべて間違っていないはずだ。

明日のためのリーディングの内容は『倫理』とか『理性』のお話。明日もまた聞かれるのかな~~??
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コメント

to 木木さん

木木さん
そうですね。まぁなんとなく抽象的に「共通」とか言っちゃう時はあるけれど、それがちょっと待った!!って思われる時もあるはず。特に論文とか書くときには言葉に気をつけようと思う今日この頃。
ところで息子さんの熱、もう下がりました??お大事に~~

ウィー

そうだよね、「みんな」ってとても曲者だよね。

世界遺産とかも「人類共通の価値を持つ~」とかって簡単にいうけど、人類のみんなにちゃんと確認してんのかよ!とかっていいたくなったりもします時々。「人類共通の遺産なのでみなさん大切にしましょう」とかいうスローガンは、ちょっと無理ある感じしますな。

歌まで作ってくれてありがとう。うれしいな。息子は熱を出し中。息子がかかるとわしにもうつる可能性大なので気をつけますわ。

では今週もがんばろうね~


to 木木、ようこそ

to 木木
884448さん。お久しぶりです。そうですか~、今論文奮闘中ですか~。たまの息抜きにででも俺なんかのブログを見てくれれば光栄です。
俺も学問的な定義は必要だとは思うんですけどね。そうしないと話し進まないし。
でも例えば『みんなが共通して持つ倫理』とか『みんなが共通して持つ価値観』とか言われると、この『みんな』のなかには本当にすべての人々が入っているのかな?と。例えばシリアのベドウィンは入っているのかな?と。そうでなければ結局これまで人々が積み重ねてきた分極化の作業と何にも変わりがなくて、最終的にはパワーバランスの波に飲み込まれる・・・とかそういうことを考えたのですよ。そもそも『みんなが共有する倫理がある』というのを主張するのはある一定の価値観より生まれているのではないだろうか??もしそうであるのならばそれは倫理の名を使った価値の強制に過ぎなくなって、『共通の倫理』を定義すること自体が価値の押し付けを生まないだろうか?などなど・・・
まぁでも考えるの面倒なのでそろそろ何となく分かった感じに自分自身をとどめておこうと思います。
苦しい論文作成も愛する奥さんとお子さんがいれば乗り切れるはず。頑張ってください。あなたは世界の文化財保護をしょって立つ男になる!!家族の愛に~つつまれてぇ~~♪(自作歌)

to ようこそ
うん、そうね。あぁやっぱり違うのねって肌で感じてる。でも俺はまだわかんないよ~。人は違うはずなのに、人は多様性の中でしか生きていけないんじゃないの?なのに共通の倫理を見つけるのはなんのため?そしてその倫理は例え見つかっても次の瞬間には変わってしまうのではないのかな~?しかもM先生はみんなの言ってることを自分のいいようにしか解釈しないじゃん。俺はもうはじめの段階で止まってます。。。

先生も答えは期待してないんじゃないかな?シェアすることに意義があるんだよ、きっと。だって、議論する前から、コンテクストによります、って教えられるより、議論してみて、ああやっぱり違うのね、って肌で感じた方がよくなーい?

こんにちは~論文苦戦中イントーキョー

たくちゃん久しぶり~ シャジャラテーンこと木木または884です。修士論文執筆に立ち向かえなくてネットをそぞろ歩きしてこちらに寄らせていただきました。

今日のお題は「定義」なんですね。わらしの修士論文は「文化財」を取り上げてるんだけど、最近「文化財」の定義に取り組みましてホヤホヤです。ユネスコの条約とかで、大体第1条とか冒頭に用語の定義の条文があります。「文化財」とか「文化遺産」とかね。つまんねーとか思っていましたが、よくよく定義しようとすると苦しむのです。「文化財」ってどこからどこまで?とか。

話は飛んで、私の若かりし20代の日本の大学生時代。英文科におって、英語史の研究?をしていて、卒論ではOxford English Dictionaryという英語研究の権威になってる20巻以上からなるマンモス辞書についていろいろ調べたりしたわけです。それでね、この略してOEDなんだけど、歴史主義に基づいてまして、語句の意味とかね、定義を書くんだけど、時代時代の意味の変化を引用文つきで書いているんです。用語の意味は時代によってどんどん変わっていってしまいまして。言葉は生きているので変化しちゃうんでして。英語だとシェークスピアの英語とか訳わかんなかったりするし、日本だって古文とかお勉強しないと意味分からんでしょう。だから現時点での用語の意味を定義するって、あたりまえすぎてムズカしいのだけど、意味あると思うなー。そしてそれはどんどんずれていくんです。誤解があったり、いいように解釈したりしてね。

シリアから帰国後に、日本で開かれた無形文化遺産についての専門家会議ってのがあって、裏方アルバイトで会議の様子を見てました。専門家の方々が、共同宣言のようなものを会議でだすためにその宣言の条文を延々と改訂してるのね。この表現だと、これこれは対象として入らないとか、この表現があいまいだからもっと詳しく書いた方がいいだとか。ユネスコとかの条約は最終的にわけわからん文章とかになってたりするのですが、こうやってみんながそれぞれの主張を込めちゃって一文で言おうとするから変になっちゃうわけだと思いました。だから定義だけだと、現実の世界から遠いなーと思う半面、なんか法律とかルールが必要な場合は「該当するか否か」みたいなことがすごく肝心になったりするよね。

いろいろぐちゃぐちゃ書きすぎてわけ分からなくなってしまいました。何が言いたいんでしょうわたし。

言いたいことは、論文くるしい~、ってことでした~!お粗末さまでした~

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