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ハマスメンバー殺害とその余波

ちょっぴりキナ臭いガザです。
この前の金曜日、車に仕掛けられた爆弾によりハマスのメンバー5人と居合わせた女の子が1人殺害されました。ライバル組織であるファタハの仕業という見方が強いですが、ハマス内部の分裂の結果という不確かな憶測もあります。ただハマスはガザのファタハサポーター160人ほどを逮捕したようです。それに呼応してか西岸ではファタハによるハマスのメンバーの逮捕があった模様。

次の土曜日よりハマスによる(というかハマス曰く)ファタハ関係である施設に対する家宅捜索のようなものがおこなわれ、うちのNGOと協力しているこどもの為のセンターも対象となりました。PCはともかく机なども持って行かれたっぽいです。持ち出しようのトラックに木でできているものも沢山つまれていたので。連絡があってから一応行ったのですが1車線ふさがれ、施設前にはハマスメンバー。こちらで雇っている通信員が頑張ったのですが取り付く島もなく、もちろん入れず、外にいたセンターの子どもが俺に気がつき声をかけてきたので話そうとしたのだけれどそれすら叶わず、子どもたちは棍棒を持ったハマスの人間に追い払われ、俺たちもすぐに立ち去るように警告され、まーもうどうにもならないのでスゴスゴと帰ったのです。
一応、このセンターは特にファタハ系列のセンターではない『はず』なので、特に何もなければすぐにでもセンターは開放され、物も戻ってくるとの話ですがインシャッラーですね。本当に戻ってくるかなぁ・・・それまではハマスがセンターをを利用するそうです。

俺はまだ、新しい人間なのでそれほど悔しいとかいう感情が湧かないのか、それともこういう理不尽なことはもー結構体験してきたので諦めてしまっているのか。。。なんか凹むけど、文字通りどうすることも出来ないのでため息つきつつこういう状況下で何が出来るかを考えるしかないんでしょうね~~。
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3年

ブログを始めて3年たちました。
計算してみたら6日に1回ペースで更新しているようです。まぁ気が付いていないと思うけど、このブログの隅に「目指せ週2回更新」とかあるんですが、全くの嘘っぱちですね。

あぁ~~懐かしい、第1回目。隊員として村に行って間もなく、スタートダッシュにも息切れした7月下旬。言葉もそんなまだ出来なくて、村でちょいと凹み気味で、時間のあった7月下旬。
ブログをやろうやろうと思ってはいたもののやっていなかったのだが、内気な自分を駆り立て、外に情報を発信することでどうにもこうにも何かせずにはいられない状況を作るには良い機会だと思い始めたのです。後ろ向きなのか前向きなのか分からん理由でした。

情報発信という性質はあまりなくなったというか超自分事な様相を帯びてきたブログですけど、MIXIというものの活躍もあり、更新情報も強制的に発信され、元気にやっていることを伝えるという最低限の目的は果たしてくれてます。ビバ情報技術革命。

わたしゃ元気にしとります。

ガザとかいうと「大丈夫?」とか言われますけど、現在は落ち着いてますしね。もちろん問題はありますけど。エネルギー プリーズ!!って感じです。キッチンで使うガスも入手困難な人が大勢います。お金の問題ではなく物理的に存在しないのです。ガソリンには料理用オイル混ぜて車に使ってますしね。排気ガスが古い油で揚げたフライドポテトのにおいします。供給に規制がかかってるんです。緩和するって話だったのに、コーディネーションもうまく行っていないという話ですし。

まぁ残りもあとわずか。浮き沈みしながらも元気にやりますわ~。これからもよろしくお願いします。

痒いよ~~

痒い!!これは。。。これは。。。ダニだな。間違いなく。
早速ネットで対処法を調べたところ、『布団に掃除機がけ』『布団乾燥機』などこちらガザでは不可能なことばかり。『布団を洗う』なんてのもあったけど、ベッドのマットを洗うの~~??どうやって??ひたすら踏むのかなぁ。。。そしてガザは海沿いで湿気があるからなんかきちんと乾かなくて余計変になりそう。

なんか裏技みたいなのあれば是非教えてください。メールも受け付けてます!!

知恵頂戴

はい、想像してください。
ある日、停電しました。全く回復の見込みなし。PCのバッテリーも使い果たし、暑くて眠ることも出来ず、しかし日は沈み、夕食も食べてしまった。近くには特に何もなく、出かけるにはタクシーを使わなければいけない。しかも行く先も電気があるかどうか分からない。晩酌するにもお酒など売っていなく、ロウソクの明かりでは本も読めない、ていうか本持ってない。

こんなとき、あなたなら何をしますか?

知恵PLEASE!!

歩み寄るのはどちらか?

日本のNGO付きのインターンではあるけれども、現在お世話になっているのはガザにある聾学校。「ネットをどこでもいいから使わせて欲しいんですけど~~」と頼んだらオフィスの一室のあまってる机を使っていいということに。最高です。

今日はその聾学校のアラビア語手話の先生による他の先生やスタッフへの手話講義があった。みんながみんな必ずしも手話が出来るというわけではない。俺はそもそもアラビア語に問題があるので、分かる単語だけみて真似してた。。

そんなとき、ふと思ったのが、『手話は特殊技能か?』ということである。一般的に出来る人が少ないという意味でYESなのだろうけど、これは本当にYESでいいのだろうか?というのが今日の疑問。

『話す』という単語の意味。俺にとって、これまでは、口を使ったもの限定だった。手話は特殊技能であり、その特殊性は『彼らが聾であり手話を使う』というところから来ていたのだと思う。ただ今日はちょっと違うように思う。手話の特殊性は『俺が『話す』ということを偏った方法、つまり口を使ってでしか出来ない』というところから来ていると感じた。

前にベトナムにいる友達がMIXIに「私が彼らとコミュニケーションをとれないのは外国語のグローバルスタンダードといわれる英語しか話さないから」と書き、それを「偏っている」と表現していたのだが、まさにそんな感じである。

恐らくどこの社会でも聾の人たちをそうでない人たちと同じように学校や仕事に受け入れるのには難しい。問題とされるのは様々あるかもしれないけど、やはりコミュニケーションが成り立たないというのは一つの鍵であろうとおもう。その問題の解決に聾の人が何かして歩み寄らなければいけないのか?それとも自分の言語を口でしか話すことの出来ない人が歩み寄るべきなのか?エンパワーされるべきは少数派か、多数派か?それともそんなこと関係なく両方か?

社会のルールや許容というのは常にまず多数を形成する人々に合わさるものだと思う。多数に心地よい社会を作った結果、誰かがその社会から疎外されるようなことになった場合、それを正すために多数にいる人々が出来ることは大きく、そこへのアプローチが肝心なのではないかと思う。

まっすぐな質問にどう答えたら良いか分からない時

シリアにいたときも度々あったけど、あの時以上にどうすれば良いか分からないことが一つ。それは「宗教は何?」と子どもに聞かれたときのことである。
まぁ正直言って特にないのだけれど、死んだときのことを考えると多分仏教のやりかたで俺の葬式はなされるであろうことに何も抵抗を感じないという部分で仏教徒であるといって良いのかもしれないし、結構いろんな物に魂のようなものが宿っていると何となく思っていて、お守りとか持ったりするという部分で神道であると言ってもいいのかもしれない。ただ少なくとも一つ言えること。それは「俺はイスラム教徒・キリスト教徒・ユダヤ教徒のどれでもない」ということである。いやまぁ、そこの土地にあわせて嘘つくことは出来るのだけれど、信じてない宗教を場に応じて語るのはちょっと失礼かなと思い、しないようにしているのです。

シリアではまぁよかった。結構な確率で「仏教」というものの存在を子どもも知っていた。仏教の中身を知っているか知らないかなんてどうでもいい。ただ仏教といわれる宗教が、というかイスラム・キリスト・ユダヤ以外の宗教がこの世に存在するという認識があるというだけでそれは大きな違いである。少なくとも俺がイスラムかキリストかユダヤ教徒でないからといって、それを怖がることはない。

ただ最近、ガザの子どもたちに「宗教は?」と聞かれ、「仏教」と答えると数人からこれまでにない反応が返ってきた。文字通り『ドン引き』である。顔色が変わる。それを見ていた先生が割って入り「タクヤ・ムッシュ・ムスリム・バッス(たくやはイスラム教徒ではない、それだけよ)」となんとなくその場を収めるのだ。分かるだろうか、この微妙な言い回し。「彼は仏教徒よ」というのと「彼はムスリムではない」という言葉の違い。前者は子どもたちが知っている3宗教とは全く違う宗教の信者であるということを明確にし、後者はもしかしたらキリスト教徒かユダヤ教徒かもしれないという勘違いを促せること。それでも明確な答えを求める子どもは繰り返し聞いてくるのだ「エーッシュ・ディーンナック!?(あなたの宗教は何!?)」と。たまに何か試されているようにすら感じる。特に10~12歳ほどの思春期の始まったほどの子どもたちに多い。
そこでちょっと先生に聞いてみた。「もしも仏教と答えたら子どもはどう思うと思う?」と。そしたら「怖がるかもしれない」といわれたわけさ。いや~それは困った。でも嘘つけないし。かといって、仏教についてもしも懇々と説いたら(まぁそんな知らないんだけど)、それはそれで一部から反感を買うかもしれない。『子どもに他宗教を伝道している』という感じにとらわれる可能性があるからである。インターンをしているNGOがガザで通信員として雇っているイブラヒム。イギリスでMAを取り、封鎖されているガザにおいて結構外の世界を知っているであろうこの男。いつも外国人の俺に的確なアドバイスをくれる彼にどうすればいいか聞いても初めて明確な答えが返ってこなかった。いや~マジで始めてみるドン引きだったからね~。彼と一緒にいたときも子どもたちに俺の宗教を聞かれたのだけれど、口の達者な彼はまずその質問を無視し、うまくうまく話をそらし、最後に子どもたちにパレスチナの民謡を歌わせる方向に向かわせたのである。ただそれは俺には出来ない芸当なのだ。聞かれている本人だし。
気軽に答えることも、深く説明をすることも、うまく話をそらすことも出来ない質問に俺は一体どういった対処をすれば良いのだろうか?

4年3ヶ月ぶりの再会

(まず始めに。前の記事で4人殺害されたと書きましたけど3人でした。犯人をいれて4人でした。最初のヘッドラインでは被害者が4人って言ってたんですけど。お詫びして訂正します。)

んで。

2003年の10月から2004年の1月。俺はネゲブ砂漠の真ん中に近いマシャベイ・サデというキブツにいました。そこでは3ヶ月のボランティアステイと共にウルパンというヘブライ語のレッスンも週に2回行われたのです。もうヘブライ語のアルファベットすら忘れちゃったけどね~~。
そこで出会ったのがドイツ人のエヴァ。彼女はそのころ既にイスラエル人の彼氏が居て、まぁボランティアとして滞在しながらタダでヘブライ語を習うことが出来るので3ヶ月のウルパンに参加したのです。

ただ、あのウルパン。正直授業になってなかった・・・俺たちは別にヘブライ語を習う意欲など全くといって良いほど無かったのでよかったのだけれど、エヴァはヘブライ語がやりたくて来たのに!!って感じで1ヶ月ほどでやめて、エルサレムの学校に通いはじめたのです。それでもメールとかでやりとりして、エルサレムに行く度にエヴァとアミット(彼氏)の家にお邪魔したりしてました。

俺はキブツのあとパレスチナで反占領運動の一環として人間の盾のような(っていうかそうなんだけど)ことをしている団体に所属してナブルスというところに2ヶ月弱ほど居たりして、本当はその後ちょっと彼らの所には行きづらかったというのもあったのだけれど、日本に帰る直前の俺の誕生日、彼らと同じくキブツで一緒だったユダヤ系デンマーク人とで誕生日会とか開いてくれて・・・すごいうれしかったのを覚えてる。

エヴァとアミットが結婚をしたのは去年の春。
そして今年。俺のインターンがパレスチナに決まり、もしかしたらイスラエルにいるかもと思ってメールすると彼らは3年ほど前からスペインに住んでいるのだけれど、たまたま今の時期に2週間だけイスラエルに戻ってくるという。超偶然。しかも2人の間には女の子が生まれたらしい(そうそう前の日記に2歳半って書いたけど他の友達の子どもと間違えました)。

本当は今週の水曜日に会うはずだったのだけれど、待ち合わせの場所の近くで事件があり、お流れに。約束は結局今日になり、本当は土曜(シャバットといってユダヤ教でのお休み)で色々用事があったみたいだけれど夕方2時間だけ会う時間がありました。

evaamitkaya.jpg

娘の名前はカヤ。イスラエルの名前でもドイツの名前でもないみたい。スカンディナビアの言葉からとって意味はPureだそうな(そういえばスカンディナビアの言葉ってどこのだ??)。カヤという名前を決めたとき、ネットで日本人の名前にもカヤというのがあるのを知ったらしい。どういう字がいい?って聞かれて考えてのだけれど、どうしても良い「ヤ」が思い浮かばなくて、まぁ適当でも良かったんだけど友達の始めての子どもに適当というのもどうだろうと考えた挙句、結局きちんと考えてメールで送ることにしました。

4年3ヶ月ぶりでたった2時間の再会だったけど、前、最後にエルサレムで交わした
「See you again」
「Definitely」
の会話が長い年月を経て本当になった。

またいつか会えるだろう。その時、カヤちゃんは何歳になっているのだろうか?ていうかそのころには俺にも家族がいるかなぁ~??なんて考えながらフラフラ歩いていたらパレスチナ人に「チン・チャ~ン」と言われ一気に現実に戻された。

明日はガザへ。お土産も買ったし、ろうそくも買ったし、日本食もあるし、まぁ2ヶ月ちょいだし、ガンバロ~~。

許可と事件と家庭料理の話

ガザ行きの許可が今日出ました。アル・ハムドゥリッラー。
ということで来週の日曜日から行ってきます。滞在は約2ヶ月の予定。色々お土産をこっちから買っていかなければいけないので金曜日に買出しです(あっ、イスラエル側でね)。

今日、エルサレムでアラブ系の人がブルドーザーでバスなどに突っ込んだらしく少なくとも4人亡くなったと報道されています。犯人は警官に射殺されました。亡くなった方々のご冥福をお祈りします・・・
本当は今日、4年以上ぶりに、昔キブツで一緒だったドイツ人とその旦那であるイスラエル人とまだ見ぬ彼らの2歳半になる娘さんと仲良くお食事の予定だったのだけれど、待ち合わせ場所も事件の近くだったので食事は土曜日に流れてしまった・・・。う~~ん残念。

今日は、ラマッラ市の村に行ってきて、俺のアラビア語はかなり廃れていたけれど何とかコミュニケーションとれました。。。一緒に村を回った幼稚園の先生たちとお話に花も咲き、沢山笑ったなぁ~~。
そしておいしいものを沢山ご馳走になりました。
musahhaninramallah.jpg

写真の料理、ムサッハンといいます。真ん中のはパンです。色々な調味料で味付けしてあります。それに左にあるグリルしたチキンと一緒に食べるのです。やっぱ村は楽しいなぁ~~
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