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母、長男を語る

最近、ちょいと用事があり母親とメールをしている。
そんな中、ひょんなことから母が俺に送ってきたメールでの一言。
「長男ってあんまり叱られないみたいだね。我が家は大丈夫だわ」


あぁ~・・・大丈夫だな・・・




叱られたなぁ・・・
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定義

定義って何でしょう?必要ですか?
まぁ必要かも。それがなければ話していることが伝わらない。物事に定義があってそれを基本に話すからこそ話も進むというものだ。

でも、である。
今日、『開発とは何ですか?』『教育とは何ですか?』という話になった。まぁよくあると言えばある。でも答えは出たことがない。いや、出なくて良い。こういうことを授業中に聞かれるのは少しナンセンスかな?とも感じます。
いや、みんなでそれぞれの意見をシェアするのはいいと思うのだけれども、自分のイメージする場所とか経験によりその定義は様々に変わると思われるので『何であるか?』と聞かれれば『各々のコンテクストにより導かれるコンセプト』なだけかな?とも。まるで答えがあるかのような問いかけにとまどった。うん、聞くのは良い。でも『議論』する内容なのだろうか?皆が言うことすべて間違っていないはずだ。

明日のためのリーディングの内容は『倫理』とか『理性』のお話。明日もまた聞かれるのかな~~??

今日あったどーでもいいこと(K. Tじまに捧ぐ)

今トイレに電気がない。なのでロウソク使ってます。ロウソクの火1本でのトイレはムード満点です。

んで。
トイレ終わってロウソク片付けようと思ったらひっくり返った。手にかかった。あっっっっついです。俺の趣味ではないな、と思った。直ぐに水をかけて冷やすと当たり前だけどすぐ固まった。これペリペリはがすのもちょっと痛いのね・・・

はい、下、写真です。

waxonmyhand.jpg

別に見たくね~~って??
君のためだよ。Kんじ君。好きそうだから、こういうネタ。ちゃお。

眠れない夜

こんばんわ。現在コスタリカは夜11時半。いつも癖で早起きな俺は最近この時間には眠くてしょうがない。でも今日は眠いはずなのに寝れないのだ。たった今、今日中締め切りのペーパーが終わった。ギリギリセーフ。メールでポン。
実は今日は朝10時まで徹夜してやってたのだ。その後、3時間ほど寝ようと試みたのだけれど、なぜか寝れない。あまり寝た気もしないまま、なのに気分爽快で3時過ぎまでまたペーパー。4時にインドネシア人の家にラマダン明けを祝う食事をするお呼ばれをしていたので参加。
今日のご飯もおいしかった。みんな料理うまいのね。

indonesianfoodbynovri.jpg

特にレバーの入ったスープみたいなのおいしかったな~~。スパイスとかの使い方もうまいし。折角だから習いたいです。
今日はご飯を作っていく時間が無かったので、昨日大量に作っておいたカレーを持っていった(昨日も時間無かったのに腐りそうな野菜たちを処分したく粉からカレーを作った。アホです。)のだが、正直スパイスの達人であるインドネシア・スリランカ・ネパールの人間たちがいる中でカレーを持っていったのは失敗だったかもしれない。まぁおいしいって言ってくれたけど。。。

ところで。彼。スリランカからの学生、サマン。いつもツボである。今日も日本人の持ってきた三線にご満悦。

samanwithsansin.jpg

『俺、これ持ってお金ねだりに行こうかな?』と言い出し、ポロンポロン引きながら『500コロンおくれ、500コロン』と俺たちに聞いて回ってた。

そんな楽しい時間を早めに切り上げ7時帰宅。ペーパー最後の仕上げ・・・と思った瞬間、見計らったかのように電話がなる。隣に住むアメリカ人から。「今日はキシニア(大家です)の誕生日でパーティしてるから来て!!キシニアがTakuがいないってさみしがってるわよ」とのこと。正直ちょっと痛かった・・・この誘い。よりによって今日かい・・・。まぁでもペーパーもあと1時間ほどで終わるはずだったので参加しに行ったのです。

あ~~カメラ持ってけば良かった。すごい楽しかった。広場でバーバキューして、本格的な音響もあって、野外ディスコみたいになってたのですよ。

今日誕生日のキシニアは40歳。3人の子どもを持つママです。長女は23歳で既に結婚して子どもがいます。次女が17歳で三女は12歳くらいだと思われる。はい、『あれ!?』と思ったあなた、なんていうか正解。それ正解です。ママは曰く『アクシデント』の結果、17歳で最初の子どもを生んでいるのです。しかも長女は前の夫との子どもで、下の2人とはお父さんが違います。う~~ん、中南米。

そんなママは今日とても綺麗でした。いつも短パンにTシャツでいるのに。『よっぱらっちゃた~~』と言ってたママはとてもかわいらしい。
そして感銘を受けたのが家族間の愛情ですね。シリアの時もそうだったけど、この国もありました。パパは一所懸命、肉焼いたり飲み物作ったり片付けたり動くし、子どもたちもママを誘って踊ったり。親子のように、姉妹のように、友達のように。見ていてこっちも幸せになります。

そんなこんなで久々にウィスキーも飲み10時ごろ帰宅。そんでもってペーパーやって今に至る。そう、だから最初に言ったとおり眠いはずなのだ。あぁ寝たい。でも寝れる気がしない。俺はこれから何をしようかな?

イフタールに呼ばれて

アイード・ムバラク クル・アーム・インテ・ビヘール
ラマダンが開けましたね。コスタリカにもモスクがあるらしくムスリムの学生や教授は金曜にいそいそとお祈りへ出かけて行きました。

さて、この前の木曜日に1年ぶりのイフタール(1日の断食が開けた時に食べる食事。ざっと言えば『朝食』の意味。イスラムは太陰暦を使っているので1日の始まりは太陽の沈んだ後をさします。)にお呼ばれしました。副学長はエジプト人で彼が呼んでくれたのです。基本はムスリムの学生を呼んだようですが、なぜか元シリア隊員の日本人×3(ていうかあらためて思うけど、おかしい、こんなにいるなんて。。。)とアメリカ人スタッフにも声をかけてくれました。

学校には結構沢山のムスリムがいます。エジプトやスーダンなどのアラビア語圏のみならず、インドネシア、キルギスタン、バングラデシュ、パキスタンなどからの生徒もそうです。

今回は奥さんお手製の料理。家に入った瞬間からいい匂い!!副学長の奥さんはバングラデシュ人なのでこれまでいただいてきたイフタールのようにアラブ料理という感じではなかったのですが、久々に空腹を刺激する感じに襲われました。

iftarfibeitamr.jpg

料理はどれもスパイスが効いていてとっても美味!!「コスタリカでは中々スパイスが揃わない」と言ってはいたけれども、辛いだけでない、ものすごいコクのあるお料理の数々。わざわざアメリカから調達したというカルダモンのにおいに懐かしさを覚えました。こういうのを作れるようになったらいいな~~。デザートにもバラ水とか入ってて、もう久々の感覚に心躍りました。

食事後も共にバツイチの2人のアメリカでの出会いなどの話で盛り上がり!!副学長は話が滅茶苦茶ウマイ。出来るオーラむんむんのエジプト人です。その後元シリア隊員の夫婦の出会いから結婚までの話も夫独特の話口調と流れにより大爆笑。久々に心から笑いました。

シリアもそうだったけど、こういったムスリムのコミュニティーでの顕著な例が『アルコール無しで異様に盛り上がりを見せる会話』である。話す話す話す話す。時間があっという間に過ぎます。久しぶりのこの感覚に居心地のよさも感じ・・・ちょっとシリアに行きたくなりました。ちょっとね。

それにしてもアラビア語を忘れてるわ。う~~ん、もったいないな~~。

還暦を迎える父

父親が13日に還暦を迎える。そう60歳。
コスタリカにいる俺は他の家族と共同でスーツなどを購入。代金は母親の口座にネットから振り込むというなんとも味気ない感じ。でもしょうがない。これが今の精一杯。

初めて記憶にある父親はまだ30台だった。あたりまえだけど。早いんだな、月日は。今考えてみると母親は自分にとって必要なことを教えてくれ、父親は常に何か新しいものを教えてくれる傾向にあった気がする。彼のやることはいつも新鮮だった。
小学校の時の夏休み自由工作。父親がおもむろに「これを作ろう」といって持ってきたのはおよそ小学生には到底作れなそうな木で作るミニバイク。最終的には明らかに子どものみでは作りえない作品が完成した。
中学の時、会社の人と父親と俺とで大島に行った。
大島で若い女性とすれ違った時、会社の人が「あっ、今の人綺麗だな」というと、顔を見ていなかった父親は「わー!!」と声を上げ、わざとその女性たちを振り向かせ顔を確認していた。その夜は俺にカメラを渡し、ちょっと女風呂を撮って来いの指示(いや、もちろん冗談でしたけどね)。母親のいないときの父親はこんなにもはっちゃけるものなのかと子どもながらに学んだ。
今これを書きながら、このブログを他の家族が見ていなければいいなと思う。

俺が父親から受け継いでいるもの。それは明らかに『濃い(辛めの)味付け』。父親がたまに買ってくる珍味が俺も大好きだった。そしてたまに作る餃子とかお好み焼きとかちょっとした酒のつまみとかも大好きだった。

去年とか今年とか数人の友達が親を亡くした。そういうことがあって始めて考えたのが、『父親は俺のことどう見ているのだろうか?』ということ。自分の半生かけて育てた息子は、まぁその甲斐があったかな?程度にはなっているのだろうか?

俺はまだ何も返せてない。ていうか今でも現役で働いて、帰れる家を残してくれている父親がいるからこそこんな放浪生活続けてられます。この前ちょっと大きな仕事が取れたらしく喜んでた。無理はせずにやりたいことを続けて欲しい。

すみません。ありがとう。そしておめでとう。

去年の10月もやってたか・・・

これまで事あるごとに言ってきたのだが、俺は小麦粉を練ったもの系が好きである。お好み焼きとかたこ焼きとかね。もんじゃ焼きもそのうちの一つ。先日の火曜まで提出のはずだったペーパーが先生の温情により今度の日曜までに延期されたので、最近無性に食べたかったもんじゃ焼きを作ったのですよ、一人で。

ブログを読み返してみると、俺は去年の同時期にシリアでこれまた一人でもんじゃを食べているようである。ではその時の話を見てください。
http://sasataku.blog16.fc2.com/blog-entry-91.html(2006年10月22日正しいもんじゃ焼きのススメ)

あの時は今よりもずっと大きな、キッチンも最高な家に住んでいた。隊員なのに。正直かなりのラッキー物件だったのだ。ただもんじゃとなるとホットプレートなど無かったので記事の通りキッチン食いだったのだ。

monja20071008.jpg

今はあの時よりも狭いけど、ホットプレートがあるのですよ。初めから。これはいい。マジで。PCで映画見ながらもんじゃ食えるなんて最高です

しかもこいつ。色々使い道が!!

friedrice20071009.jpg

次の日の朝、いつもお昼持参の俺はそのまま洗いもしなかったホットプレートでそのまま炒飯と焼きそば作り!!コスタリカに来てまでこの食事内容、ある意味すごいでしょ??自分でもおバカだなと思いますわ。

まぁそんな歳ですよね

今朝、かなり久しぶりにMSNのメッセンジャーを開いた。するといたのですよ、幼馴染みが。ちなみに幼稚園から中学まで一緒で、剣道とピアノと塾も一緒だった。初海外旅行も彼といったものである。ていうか2回目も彼といったものである。メールはちょっとだけしてたけど、長く会話(?)するのは久しぶりである。

そこでまずビックリしたのが社会人5年目という言葉。そうか・・・俺と一緒に浪人したけど働いてればそんな感じか。30で成人とか言っちゃってるの俺ってどうだろうか?

現在20代後半の俺はよく言われる『結婚式のお祝い金が大変』な世代である。ただ協力隊に行ってたり、その前も海外にいたり、今もコスタリカだったり、ということでことごとくそういうものは回避されているのだ。姉の結婚式にすら出れなかったし。
まぁそんなこんなで友達が結婚していたのは知っていたけどあんまり実感が湧いていなかった。

だが今日のチャットで判明したこと。してるしてる、みんな結婚してるね~~。マジでいつの間に!?ほんとにビックリだ。いや別に今の生活を投げ出して『まず結婚したい!!』というのではないのだけれど、焦る必要も無いのだろうけれど、なんか・・・・ね。

その後、協力隊の同期(そしてタメ)のある夫婦の『婦』の方からもメールでのろけられるし。そう、そこの!!日本の北のほうに住んでるお前たちだ!!
一緒になりたいと思える人がみんな見つかってるんですね。幸せが広がってんなぁ~

まぁ俺はとりあえず、火曜期限のペーパーを終わらせなきゃ・・・

学問と自分のハザマ

いつかまたパレスチナに行きたい。
今でもそう思っている。

初めて行ったのは2001年。2ヶ月の中東旅行の中のほんの1週間だけ。パレスチナ関係ではかなり有名なあるジャーナリストの方に拾われ(その時は知らなかった・・・)、一人で漠然とした目的しかない自分の滞在を有意義にしてもらえたのを覚えている。
2回目はその翌年。またまた色んな人に出会って刺激された。そしてそこで見た現実は前回以上に受け入れ難く、納得がいかなかった。でも同時に「もしもここにもっと長くいることが出来たら残るか?」という問いに、心は大きな声で「NO」と言った。
傷ついた。当事者でもないのに。体でなくて心が。自分が何かを代表して物をいえる立場であるとは全く思わないけど、強いて言うならば人として耐えがたかった。今の自分は未だにこの自分を傷つけたものとの戦っていると感じる。ほぼ逃げ出す感じで次の渡航先へ向かった。でも必ずまた来よう、そして次に来る時は何かをするために来ようと誓った。
そして3回目。大学卒業後8ヶ月。半分をイスラエルで半分をパレスチナで過ごした。普通、このくらい長くいると何かいいことの1つや2つ言えるらしい。でもおそらく2回目の訪問の後よりも確かに言えることが無くなった。双方合わせて何百万の人が住む社会のうねりなど、考えてみればたやすく理解できるわけも無い。
この時はボランティアをした。何かできると思ってた。でも現実の壁は厚く、ただひたすらに自己嫌悪の日々が続いた。この時からどうすればもっと実践的に人々の声は相手に届くのかを考えている。

2年の協力隊を経て今はコスタリカ。随分と離れてしまったように感じる。でも今は我慢の時。自分はまだあの地域に貢献できるほどの力が無い。まだまだ最低踏まなければいけないステップがいくつかある。

こんなことを今日ぼーっと考えたのは授業のせいだと思われる。Marshall Rosenbergという人のNon-violent communicationについてのプレゼンだった。
理念は理解できた。賛成もする。実践できればそれ相当の効果もあるだろう。そう、実践できれば。
最近、授業の中ですぐに意識が飛ぶ。別に寝ているとかではなくて、どうすれば習っているものを実際自分が体験してきたものに当てはめられるのだろうかを無意識的に考えはじめている。そのおかげでいつの間にか話の流れに置いてけぼりを食らうこともしばしば・・・
でも考えずにはいられない。学問に現実への答えなんて滅多に無いと思っていても、もしかしたらもしかしたらと思うのだ。常に頭の中を飛び回っているのは『feasibility(実行できる可能性)』という言葉。今回のNon-violent communicationも『対話が出来ること』が前提の話。罵声を浴びせるだけでもいい。それでも少なくとも相手はそこにいる。

でも例えば、である。軍が占領地の各都市でチェックポイントを設けている。そのチェックポイントでは被占領地の人々が理不尽な差別を受け、明らかな人権侵害を受けている。しかし彼らが声を上げればそれだけで逮捕され期間の分からない拘留の可能性が大いになる。人権を守る機関があってもその人権侵害を受けている人たちはその時にその機関へコンタクトを取るすべを奪われている。なので逮捕される心配の少ない外国人がその代わりをしようとそのチャックポイントへ行く。しかし、兵士はその外国人を見るや否やチェックポイントを閉め、銃を構え、空中へ威嚇射撃。さらにそれまで列に並んでいた人たちを追い払い都市へ出入りを不可能とする。まるでその外国人への『見せしめ』のように。『お前たちが口出ししようとするとこうしてやる』というメッセージ。その外国人の『存在』が既に兵士たちへの『挑発』。誰も文句は言わないけれど明らかなのはそこにいるだけでその外国人は状況を悪化させたということだけ。いないほうがいい。でも、それではそのチェックポイント人権を侵されている人々はどうなるのか?

この状況の何処にコミュニケーションの可能性を見出せばいいのかが皆目見当がつかない。アプローチする場所とタイミングと対象を変えられる、とは思う。だからまずは学校で相手とのコミュニケーションを促進してみるとしよう。でも子どもが何か新しいものを持って帰って実践をするには親の理解が必要。それじゃ次は大人。でも世代や性別によって一様じゃないだろうから彼らの中でのコミュニケーションも促進しなければ。そして政治レベルも重要だ。でも同じグループの中でさえ政治と人の間には大きな隔たりがあるのがつき物だからまずそこのコミュニケーションを促進しなきゃ。そんなことが達成されてやっと対立する相手とのコミュニケーションの場というのが出来上がるのだろうか?そうすれば出来るのだろうか?例えばイスラエルとパレスチナにある何百万の『ニーズ』にはどうやって対応できるのか?

ピンと来ないのだ。ピンとね。そんな学問と自分の間のフラストレーションの上で右往左往しているのも疲れてきた。意味を見い出したい自分と意味を見い出せない自分。ホント・・・疲れてしまいます・・・

気晴らしの雑感

まず。
昨日の交渉により隣に住むエチオピア人の彼は260ドルで1日2食込みという感じで落ち着き、晴れてこのまま隣の部屋に住むことになりました。よかったよかった。

あっというまに10月になってますね。
今年の日本は秋刀魚がおいしいとか。うらやましい。去年も一昨年もシリアだったので随分秋刀魚ちゃんとはお会いしていません。来年も10月下旬までフィリピンだから・・・11月でも秋刀魚食えるかな~~?

そうです、秋でしょ。普通なら。
こちらコスタリカは年間を通して気温があまり変わらないみたい。その代わり雨季と乾季があり現在は雨季。11月の中旬から下旬から乾季だとか。今までのところほぼ100%午後は雨なので、1日中晴れってのも恋しいです。

10月・・・もうシリアを去ってから半年。それとほぼ同時にこのプログラムが始まってからも半年。1年半のプログラムのもう3分の1を消化したことになる。早いなぁ・・・
1日が目まぐるしいです、最近。1週間があっという間。コスタリカ滞在もすでに4分の1が終了。でもいまだ手探りな感じ。適応力無い!?

いろんなことが駆け巡る。頭の中を。先のことも色々心配。なのでたまに将来のこと考えているのだが、それによって現在がおろそかになってしまっている自分に気が付き・・・余裕なし!!ウヒ~~

まぁなんだ。せいぜい頑張ります。
皆もゴイゴイいってください。

引っ越しました

引越しをした。
隣の部屋へ。
隣にはエチオピア人の学生が住んでいるのだが、彼がある日言い出したのだ『部屋を交換しないか』と。
彼の部屋はこれまで俺の使っていた部屋の1.5倍かそれ以上大きい。なによりもキッチンが大きくて使いやすそうなので、『あ~~あっちがよかったな~~』と思っていたのだ。だからもう即OK!!

彼の部屋は225ドル、俺の部屋は210ドル。あの部屋の差では俺の部屋のほうが相対的に高い感じである。でも俺はネットを使い、国内電話も良く使うが彼は使わない。まぁもともと彼の部屋の225ドルにこれらのサービスは入っているので使ってもいいのだけれども、彼はPCを持ってないし、日常で電話もかけない。だから彼はいつも俺に『もっとディスカウントしてもらったほうがいいんじゃないの?』って言ってたのだ。

そこで彼は考えた。
彼は料理が出来ない。今回のコスタリカが生まれて初めての海外で、生まれてはじめての一人暮らし。なので料理というのが一日の活動の中で大きな負担となっているらしいのだ。だけれど、隣に住む大家は俗に言うお弁当屋さん。食べ物の面ではプロである。だからまず、210ドルの部屋へ移動し、電話やネットを使わない分と部屋の大きさをかんがみて相対的に高いと思われる分のディスカウントをしてもらう。その上で1日2食を大家に作ってもらい250ドルでどうか!!と考えたのだ。

俺は料理は自分でしたい。でも15ドル足してでも大きな部屋というか大きなキッチンがあるとうれしい。それに前の部屋はワイヤレスネットの接続が弱かったのだが、225ドルの部屋のほうは快適なのだ。

お互いの利害が一致。晴れて昨日はお引越し。
さて、本日アパート代を払う時に彼は交渉に入るのだが、無事に食事つきの250ドル案は通るだろうか・・・?
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